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大和高取城(奈良県高市郡高取町)訪問記

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日本一の山城
高取城

山の上にあるお城の代名詞となっているのは「天空の城」竹田城ですが、今回訪れた高取城はそれを上回る規模を持つ、すさまじい城郭です。

竹田城は徳川幕府の命により廃城になり荒廃しましたが、高取城は三重の天守と小天守、27の多層櫓を擁する巨大な近世城郭を明治まで維持していました。恐るべきはその立地。山の麓から山頂の城郭まで約450mあり、竹田城の260mをはるかに凌ぎます。ちなみに加古川の高御位山は300mなのでいかにすごい山城か解るでしょう。しかし残念ながら周囲の山々が峰続きのうえ、樹木が生い茂り、麓からは高過ぎてお城がまったく目立ちません。これは観光的には大きな欠点ですが、当時作った人には関係ない部分です。
しかしなぜこんな場所にこれほどまでのお城を作る必要があったのでしょうか?

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12mの高さを誇る天守台
かつてはこの上に三層の天守がありました。

高取城の歴史は南北朝時代からあるようですが、現在の姿に変貌するのは大和大納言、豊臣秀長の治世からです。アイデアマンの兄、藤吉郎の実務担当であった弟、小一郎はその領国経営にも抜かりなく、本拠地の大和郡山城とこの高取城で大和盆地を南北で軍事掌握する事とし、ひいては大坂城の大防衛網を構築していました。ちなみに竹田城もこの防衛網の拠点のひとつで、大名個人の造営ではなく「豊臣家の城郭」といえるものです。

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折り重なる厳重な本丸虎口

その防衛網ですがどこからの防衛というと、高野山や吉野山など山上を防衛拠点にした宗教団体と強力な土豪集団でした。織田信長は大坂本願寺を占拠した後、高野山を取り囲み、殲滅戦の最中に本能寺で横死します。信長の後継者の秀吉は紀州の土豪衆を未曾有の大軍で押さえ込み、高野山に比叡山と同様の措置を取ると宣言し、ついに高野山は屈辱の降伏をしました。秀吉秀長兄弟は、二度と反逆できないように彼らののど元に切っ先を突きつけるような城郭をつくりました。和歌山城と高取城です。高野山にすれば、高取城という自らと同様の山岳に守られたスタイルの巨城を配置されて、沸き上がるリベンジの意欲を大きくそがれたはずです。

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本丸より吉野山を望む。彼方まで連なる大和山地

小一郎秀長は残念ながら兄秀吉より早く死んでしまい、その後は秀吉の暴走がはじまります。秀吉は死の直前まで大坂城とその防衛網である城郭を強化していましたが、彼の死後の政情不安がそれに拍車をかけました。竹田城や洲本城などで豊臣政権全力をあげての工事が行われていますが、高取城もそのひとつと言えます。秀長のころから高取城を預かっていた本多利久と俊政の親子がその任に当たっていました。

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前方の石垣の上には二の丸の藩主屋敷が立っていました。

高取城主、本多俊政は徳川家康の上杉征伐に従軍していたので東軍になりました。高取城も西軍に包囲されますが、留守番の家臣が籠城戦の末に撃退する働きをみせ、そして関ヶ原の戦いの結果、本多家は大和高取藩二万五千石の大名として存続します。関ヶ原以降、全国各地で空前の築城ブームがはじまり、高取城も現在見られる姿に大改築されました。すなわち、姫路城や熊本城とおなじ頃の建築物ということになりますが、とても二万五千石という控えめな石高に見合った規模のお城ではありません。凄まじく立派です。

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二の丸から本丸への進入は非常に堅牢になっている。

吉野山や高野山など、山上の巨大建築を作り慣れている地方であるとはいえ、大量の物資を運び上げ、巨大な城郭をつくる財力が本多俊政という一大名単独で賄えたとは信じがたいです。しかも竹田城や洲本城は廃棄されたのに高取城はその価値を認められたと言うことになります。徳川方が豊臣秀頼のいる大坂城を包囲する役割を高取城に見いだし、援助があったのではないのでしょうか。そして城主としてとどめ置かれた、歴史上全く目立たない本多俊政という大名も「ただ者ではない」人物であったと推察されます。

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上のCGは奈良学園大学によるもの
下の写真は同じ方向からの現状です。

その後、本多家は俊政の子、政武が跡を継ぎますが、彼は囲碁の天才少年であったようです。なんと12才で本因坊戦の勝者になっています。その後、大坂城の再建工事や高野山大塔の造営奉行などを努めるなど才能秀でた人物だったのですが、早死にしてしまい本多家は改易となりました。
その後、しばらく城主不在の時期を経て、植村家政が城主となり高取藩は復活します。このお殿様は徳川家の大身旗本で幕府の大番頭(侍としてのトップ)であった人物でした。そのスーパーエリートが二万五千石の大名として栄転、つまり高取城はその受け皿になる重要な城郭であったといえます。将軍家光は高取城の修理修繕はいちいち報告には及ばないとまで言って優遇しました。これは他の藩ではありえない待遇で、高取城はそのような名門譜代の恩恵をうけ、以後明治まで植村家14代の居城となります。植村家は二万五千石とは表向きで、幕府の役料や大和国の天領の管理など十万石近い収入があったらしく常普請である高取城の維持管理を可能にしていたようです。

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土佐街道と呼ばれる麓の城下町は古き良き風情の町並みが続いています。

しかし江戸時代の平穏な時勢で山上の生活は不便の極みなので、麓の土佐町に家屋敷を移し、藩庁はそこにありました。明治以降は無人となった藩主屋敷や山上の城地は荒れるにまかせ、朽ちてしまいました。明治の中頃に撮影された写真を見るとまだその威容を残していますが現在は石垣のみになっています。

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天空の城

日本全国には史跡として登録されているお城は6万あるといわれています。お城のシンボルというべき天守を今に残すのは12箇所ですが、高取城のように石垣だけが残っているけれど、魅力溢れるお城もたくさんあります。

日本100名城
続100名城

でご確認下さい。

竹田城を発端にした「天空の城」がブームになり、全国各地でいろんな町が名乗りをあげています。「天空の城」の定義は むずかしいですが、ここでは「山の上にある風情あふれるお城」ということでご紹介します。

※写真をクリックすれば写真提供元であるウェブサイトにリンクします。

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竹田城

(兵庫県朝来市和田山町)

雲海に浮かぶ絶景が有名。
豊臣政権が造営したと思われる。
関ヶ原の戦いの後に廃棄された。


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洲本城

(兵庫県洲本市)

天守台にある望楼は昭和3年に昭和天皇の即位を記念して作られたコンクリート製。
史実とは関係ない展望台だが、もはや完全な歴史的建造物に。

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利神城
(兵庫県佐用郡佐用町)

雲突城と呼ばれた池田氏姫路城の支えの城。
完成直後に廃棄された幻のお城。

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岩村城

(岐阜県恵那市)

標高700mを超える山城。女城主おつやの方の悲劇のお城として有名。
森忠政(鬼武蔵長可や蘭丸たちの末弟)の家老、各務元正が現在の姿に整備した。

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津和野城

(島根県津和野市)

現在の姿は千姫事件で有名な坂崎直盛によるもの。
津和野盆地が雲で覆われる時、見事な天空の城となる。

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松山(備中)城

(岡山県備中高梁市)

国重要文化財の現存天守をもつ。
戦国の古城の雰囲気にあふれているが、徳川綱吉の頃、水谷勝宗により整備されたもの。

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大野(越前)城

(福井県大野市)

風流人としても有名な武将、金森長近が築城。
昭和43年にコンクリート製の復興天守が作られた。

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八幡(郡上)城

(岐阜県郡上市)

豊臣時代末期に稲葉貞通が整備し、その後、遠藤盛数が完成させた。
昭和8年に木造の模擬天守が作られている。

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赤木城

(三重県熊野市紀和町)

高取城とおなじ、豊臣秀長の命により、藤堂高虎が築城した。

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苗木城

(岐阜県中津川市)

関ヶ原の戦いで旧領主だった遠山友政が奪還に成功、わずか1万石だが思いの丈でつくりあげたお城